写真展のお知らせすらしていないけれど、後記のようなものを載せておきます。
2013年1月11日〜14日の四日間開催した写真展Down to the river。
色んな意味で節目となる展示だったと思います。
きっかけは、佐藤さんからの提案。
「巴川の写真を撮って展覧会をやらない?」
4月に二人でやった展示「肖像」が終わってから、そんなに経っていない頃のことだった。
「肖像」の時と同様、あまり細かい打ち合わせをしないまま、一緒に撮影に行く日を決めた。
八月の暑い夏の日のこと。
川の源流へ向かう車中で、佐藤さんから写真展のコンセプトを聞いた。
「川は人生に似ている。生まれて、流れて、海へたどり着く。それは死でもあり、新たな生への始まりでもある。」
その頃、病床の母の具合は悪化していた。口からほとんど食べれなくなり、栄養は点滴に頼っていた。
療養型の老人病院などで、胃に穴を開けて流動食を直接胃に送り込む方法もあると医者からは聞いていたが、
本人の意思と家族の総意で断り、在宅療養を最期まで続けることにしていた。
生きること、生かすこと、尊厳をもって生きること、尊厳をもって死ぬこと。
そんなことばかり日々考えていた私の心に、すっと入って来たコンセプトだった。
偶然にも巴川の源流は実家からほど近い場所にあった。
不思議な縁とルーツのようなものを感じながら、源流付近の撮影をした。
中流の撮影に向かう途中、二人で昼食をとった。
そのとき、佐藤さんに母の病状を話し、写真展の日程の前後で母に何かあった場合、ご迷惑をおかけすることに
なるかもしれないということを正直に話した。
佐藤さんは、それは承知の上で誘ってくれたと、言ってくれた。
この状況で、この心境だからこそ、やるべき展示なんだと、そのとき思った。
時間の関係上、中流から下流にかけての撮影は日を改めて、季節が変わった頃行うことにしてその日の撮影は終わった。
10月中に行う予定だった二回目の撮影は、なかなか予定が合わず11月へとずれ込んだ。
その頃には、母の容態はいっそう悪くなっており、撮影だけでも早めの時期に済ませておかなければ、と思っていた。
佐藤さんに少し無理を言って予定した週末に、母は一時危篤となった。撮影は延期。
その週明けの月曜には呼吸不全で救急搬送され、木曜の未明に母は亡くなった。
佐藤さんは、展覧会をやる元気と勇気があるかと尋ねてくれた。
私は、もちろん、と答え、母を荼毘に付した一週間後に、二回目の撮影に出かけた。
振り返ってみると、10月に撮影に行けなかったことで、中流から下流の撮影が母の死後になったことが、
大きな出来事だったと思う。
海へそそぐ巴川を見つめながら、私は母のことを強く考えていた。
展示する写真をセレクトする際、川の流れを意識しよう、と佐藤さんに言われた。
川の流れ、人生の流れ、私の心の流れ。
L判のプリントを何度も並べ替え、試行錯誤を重ね、最終的に構成が決まった。
不思議なほどしっくりきた。ポートレートを封印することにやや抵抗があったのが嘘のようだ。
写真展の日程は、ちょうど母の49日が明けて間もない頃。
すべての流れが、何か導かれているかのような感覚だった。
4日間の展示を通して、私の11枚の写真の中で、私自身が心情が強くこもっているなと思う写真に目をとめて
くれる人が多かった。写真の力なのだと思う。ポートレートであれ、風景写真であれ、どんな写真にも私自身が
反映されている。それは、人に伝わる。当たり前のことのようだけど、それを実感できたことは大きかった。
閉塞感、虚無感、絶望と希望。
始まり、終わり、また始まる。
感情の起伏を表に出すことをしない私にとって、緩やかな巴川の流れは、程よく心を解き放ってくれるものでした。
母への良き弔いとなった写真展。
足を運んでくれた方々に本当に感謝します。
声をかけてくださった佐藤さん、本当にありがとうございました。
(これを機に、またブログに写真も載せて行こうと思います。)
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